暮らしなもん

衣・食・住で日々出会う品々とのおつきあい帳

ひな人形とお道具の思い出

今週のお題「ひな祭り」

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ひなまつりと言えば、何と言っても雛人形

でも、我が家にはそれらしきお飾りはありません。まず両親、とくに父が『わが娘にはおひなさまは必須!』とか全く考えないタチだったのと、筆者の幼い頃は経済的にもスペース的にもそんな余裕はなかったから・・・というのが主な理由だったと解釈しています。

 

だからひなまつりの時期、五段とか七段とか豪華な雛人形が見られるのはいつも、友達の家とか、親と一緒にたびたび訪れる銀行のロビーとか、とにかく他所に飾られているものばかりでした。

 

それでも本人は妬むどころか、一向に気にならず、むしろ感謝すらしていたのであります。

 

なぜでしょうか。

 

 

一番大きな理由は、「雛人形の目を異様に怖がっていた」こと。

近年は伝統にこだわらないいろんなスタイルやデザインの雛飾りが出回っていますが、筆者が幼かった当時の雛人形と言えば、伝統的な技法にのっとった「顔面に開いた目の形にガラス玉の瞳を重ねてつくる」リアルな顔立ちのものが主流でした。

 

この「目」の表現が、当時の筆者には凄く怖かった・・・どれくらい怖かったかと言うと、

もしこんなひな飾りが家にあったら、夜中にトイレに立ったときに目が合うかも知れないと思うと恐ろしくてかなわない

という、幼子にとってはまさに由々しきレベル。そうなると顔立ちがいかに麗しく高貴であろうと、十二単や束帯姿がいかに雅びで彩り豊かであろうと、名だたる工芸士の手による高級品であろうと、この際何の慰めにもなりません。怖いものは怖いんです。

 

もし、親や祖父母や親戚がムリヤリにでも私に雛人形を贈るようなことがあったらそれこそ大迷惑だったかも知れません。幸いそんなおせっかいを申し出る者は一族の間に誰もいなかったので内心ほっとしていました。

 

これは別に日本人形に限ったことではなく、西洋のビスクドールのようなアンティーク人形に対しても同じ心理的な拒否反応を示してしまいます。手描きで表現された瞳とかぬいぐるみのボタンの目なんかなら全く平気なのですが・・・。

 

さて、理由は他にもう一つあります。それは

人形よりもお道具のほうに関心があった」。

リアルな人形は苦手だけど、ドールハウスやミニチュアは大好き。なので、段飾りを見つけると上に並ぶ人形はそっちのけで、下二段に置かれた黒漆に金蒔絵のお道具類に吸い寄せられます。

 

実用には耐えない小ささながら、細部までリアルに表現された(※ こういう品々はリアルでも一向に構わないんです)ミニチュアの箪笥とか茶道具とかお膳なんかが並んでいるともうたまらない。できることなら手に取って何時間でもいじくりまわしていたい・・・などと思いながら、春先の銀行のロビーに置かれた七段飾りの前で見入っていたものでした。 

 

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そうそうこんな感じ、懐かしいですね。昨今はネットショッピングでお人形類とは別に一式求めることもできるようになったみたいで、昔のことを考えるとちょっと信じられないくらい。購入者レビューを拝見すると、コンパクトタイプのひな飾りにもう少し華やぎを添えたかったから・・・というコメントが多いようです。なるほどなるほど。

 

筆者もまた、今なら昔の夢を果たすべく買ってもいいかな・・・とクラッと来たのですが、相変わらずの狭小な住まいには飾るにも収納するにも場所の確保が見込めないので当分の間はガマンすることにします・・・。

 

ところで当時、雛人形のひの字も無い家で毎年桃の節句を迎える娘を哀れと思ってか、一度母が手づくりの雛飾りをこしらえてくれたことがあります。

 

当時購読していた婦人雑誌の特集記事を参考にしたようで、色紙を重ねて円すい型をつくり、そのてっぺんに頭部に見立てた白いピンポン玉をのせ、男雛と女雛の区別を簡単につけただけの即席の雛飾りでした。目鼻立ちはあえて描かない、いわばミニマムアートな作品だったのですが、幼稚園から帰って来て初めてそれを目にしたときはやっぱり嬉しかったなあ。

 

ひなまつりの日の食事はどんなだったかも思い出せないのに、粗末な紙とプラスチックでできたその雛飾りの印象だけは、今も強く心に残っています。